最終更新日: 2018年12月15日

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12月25日から30日迄 幅下消防団の年末特別消防警戒が実施されます。

11月12日に女性会が,名古屋市区政委員大会における地域活動団体表彰を授賞致しました。

11月5日には,名古屋市愛岐処分場への 保健環境委員会の研修会 が開催されました。

11月3日には,京都市市民防災センターへの 連絡協議会の研修会 が開催されました。

10月28日の,ふれあいグランドゴルフ大会 の様子をご覧ください。

10月7日の,秋季運動会の様子は 運動会2018 をご覧ください。

10月2日の,独り暮らしの方の給食会の様子は 給食会2018 をご覧ください。

9月15日の,敬老会の様子は 敬老会2018 をご覧ください。

8月4日の,ふれあい盆踊りの準備&様子は 盆踊り2018 をご覧ください。

6月24日の,自主防災訓練の様子は 自主防災訓練2018 をご覧ください。

幅下(はばした)学区へのご紹介

 

幅下学区は名古屋市の西区にございます。

名古屋駅と名古屋城の間に位置します。

 

能楽堂 横の赤丸が巾下門跡,左の赤丸が巾下学問所址

そして幅下学区の名前の由来は,古くは 1748年(寛延元年)の

巾下学問所(寺子屋)開設に依ると謂われて居ります。

設置場所は旧 鷹匠町の国道22号線沿い 堀川(巾下橋)の近くにあります。

ここから,徒歩5分程で名古屋城の有名な 巾下門跡 に行きます。

名古屋城 城郭の西入口(正門の西方側)の 巾下門跡 になります
現在では,門跡に石垣だけが残っています。
右手には名古屋能楽堂があります。

さて巾下学問所は現在の どのあたりに具体的に存在したのでありましょうか?


 調べている時に偶然に見つけました【 名古屋市役所発行の名古屋市史地図編(昭和43年9月)】からの,江戸時代の名古屋城の周辺地図が役立ちました。

 

朝日橋から五条橋までの堀川西岸には北から小舟町,堀江町,塩町,大船町,その西には四間道などの地元の方々には懐かしい地名も見えます。また,五条橋西側には慶栄寺、高田本坊(御本坊),円頓寺などの御寺も確認されます:

朝日橋の南西部には,江戸時代の築城建築関係の役所である「御作事(おさくじ)役所」があり,名古屋城は1610年(慶長15年)に築城が開始されて1612年(慶長17年)までに大天守が完成しました。そして,1748年(寛延元年)この場所に 巾下学問所 が設置されたと史実では述べて居ります。

 

この地図を見ると,幅下学区に関連する堀川への橋は江戸時代には『 朝日橋と五条橋 』の2つのみで,巾下橋は当時 存在しなかったことが理解出来ます。

国道22号線にある巾下橋の南東から北西方向を望む

朝日橋は,現在の巾下橋の北側に位置する古くからの小さな橋であり,江戸時代には城西地区および幅下地区に居住した数多くの武士が名古屋城への勤めの為に朝日橋を往来したことでありましょう。

朝日橋を西から東に渡ると左手側には城への西入口の 巾下門 が見えました。

現在の朝日橋を西側から撮影

 当然,巾下橋の片側4車線の広い国道22号( 道幅35メートル程 )さえ存在しなかった時代なのであります。


以上の考察を踏まえて,次の図の緑の斜線部分 巾下学問所が存在したものと推測されます:

東西25メートル程,南北40メートル程の敷地面積 約1,000平方メートルの土地に 巾下学問所 がありました。

学区周辺の写真


名古屋市立なごや小学校

 

これまでの江西小学校,那古野小学校,幅下小学校が統合されて,新校舎は3校のうち広い敷地が確保できる幅下小学校を解体後に北隣に隣接する幅下公園と合わせて再整備を行って平成27年度より名古屋市立なごや小学校としてスタートしました。平成29年4月には,現在の新校舎が完成致しました。

学校の敷地面積は1,440平方メートルです。

なごや小学校の校章です。三つの小学校が合併して出来ましたので NagoyaN  が三つ重なっている様なデザイン と成っています。

なごや小学校の正門右手側に位置する,なごや小学校の標語の石碑です。

この石碑の裏面も見てみましょう。

この石碑建立の由来が記述してあります。


幅下コミュニティセンター

 

なごや小学校から徒歩5分の場所です。

 

学区連絡協議会の拠点に成ります。

コミュニティセンター内には,以前に幅下小学校にありました石碑が飾られてあります。

上の石碑の左側からも確認出来ます幅下小学校(創設1872年・明治5年)の校章です。これは『巾 下』の から円状の部分が, は円内に入る変形文字にて構築されています。

( 昭和の時代の小学生は,この校章を分数の5分の1と読んでいましたね。)

この校章からも,嘗ての『 巾下学問所 』の伝統が深く感じられます。

平成4年11月に迎えた幅下小学校・開校120周年記念の時に,幅下学区の全世帯に配布されました記念の航空写真の下敷きです:

【 参考資料 】 PTA だより 第32号『 開校120周年記念特集

続いては,幅下小学校閉校記念誌「幅下校」(平成27年3月)の表紙です:

題字「幅下校」は明治20年ごろ本校を参観しました山岡鉄舟の筆です。

東海第一の学校なり」と賞嘆して大額に墨文字を書き残しました。

この額は,なごや小学校で大切に保管されて居ります。

なごや小学校 メモリアルコーナー にて


浅間町の国道22号線沿い交差点付近にあります【 西区史跡散策路 城下町散策コース 】の案内板です。

1964年の東京オリンピックのときには浅間町周辺に小学生が日の丸の旗を持って並んで,国道22号線上を東京へ向かって走る聖火リレーを旗を振りながら見送りました。


幅下学区の11区塩町と11区大船町の間に架かる堀川への五條橋

 

嘗て,海部郡清須城下の五条川に架けられていた橋を,清須越(きよすごし:慶長15年(1610))により行われた清須よりの町ぐるみの引越しである名古屋への遷都の際に,この地に移されもので橋の名前もこれに由来します。

尚,この年から始まった名古屋城の築城では慶長17年(1612)までに大天守が完成致しました。

堀川に架かる橋の袂,北側にあります五条橋への案内板です :