新しい Part 2 のページは,こちらのページを御覧くださいませ




【 お知らせ 】 このページ Part 1 は,2018年7月から 2022年5月31日までの4年間程の,幅下学区連絡協議会の活動記録です。サーバーの指定容量が一杯に成りました。このページでの最終更新は 本日にて終えます。

新しい Part 2 のページを開設致しまして 更なる活動を続けて参ります。

来年度の 幅下学区成人式 は 1月 8日(日)です

最終更新日: 令和四年 5月 31日

【 開 設 】 新しく コ ロ ナ 情 報 セ ン タ ー を開設致しました。

名古屋市西区 春の いけばな展が,4月23日&24日( 10時から4時 )に,西区役所3階の第2&3会議室で 無事に開催されました:

幅下学区 みゆき公園では 御衣黄桜(ぎょいこうさくら)が満開でした。4月17日には,町内会で 御衣黄桜の お花見会が開催されました:

23日には,幅下ふれあいカフェ での コラボ演奏会が開催されました:

演奏会の写真動画も公開致しました。 お楽しみくださいませ。

【 子ども会からのお知らせ 】 幅下 子ども会に入りませんか?

20日の コミセンまつりの開催日 には,幅下公園の桜が開花ですね!

コミセンまつりの写真動画 公開致しましたので御覧くださいませ。

3月17日には,なごや小学校の卒業式が無事に開催されました。

卒業式の様子は,写真動画で御覧くださいませ( 4分28秒 )

3月16日には,幅下ふれあいカフェが開催されました。 写真動画(BGM は 韓国ドラマ【 雪の女王 】OST )を御覧くださいませ(6分10秒)

【 Quiz 】 雪の女王は 何処に住んでいるのでしょうか。

【 Answer 】 北欧の国 フィンランドのラップランドです。

来週23日には,オカリナ・大正琴コラボ演奏会が予定されて居ります。

1月20日には,幅下学区女性会から,なごや小学校卒業式用のコサージュ贈呈式が,コロナ感染拡大防止のために小学校の中庭で開催されました。

3月17日の卒業式は,なごや小学校の体育館で無事に開催されましたよ!

■ 2月17日には,自宅療養者数が過去最多の 58万人に達しました。■

【 参考資料 】 第3版 自宅療養者向けハンドブック ~感染を拡げないために~ ( 東京都 東京 iCDC 専門家ボードの感染制御チーム作成の PDF ファイルであり 全 22ページの 令和4年1月に発行されました冊子です。

名古屋市女性会からの 女性なごや 1月号 が届きました。

1月19日には,幅下ふれあいカフェで ぜんざいが振る舞われたました:


1月 9日には 幅下学区の成人式 が開催されました:

12月15日には,ふれあいカフェで 苔玉づくりが開催されました:

12月14日には,区政連絡協議会の後で 防火パトロールが行われました:

12月10日には,西区役所で西区女性会(地域女性団体連絡協議会)から西区社会福祉協議会への寄附&肩たたき棒の贈呈式が開催されました:


2022年は,十干(じっかん)が「壬(みずのえ)」,十二支が「寅」の年にあたりますので,干支(えと)は「 壬 寅(みずのえとら)」です:

11月30日には,女性会の定例会で山田会長の【 文化の日 名古屋市教育委員会から優良社会教育関係者として表彰 】への花束贈呈がありました:

11月3日の文化の日には,名古屋市地域女性団体連絡協議会 会計であり西区女性会の山田淑子会長が,名古屋市教育委員会から優良社会教育関係者として表彰されました。 心よりの感謝と共に おめでとうございます!

【 表 彰 内 容 の 詳 細 】

地域での学習と実践活動に率先して参加し,多くの会員からの信頼を得て,平成十六年四月に西区幅下学区女性会会長に就任,平成二十四年には,西区地域女性団体連絡協議会副会長に就任し,その人望と優れた指導力・行動力で長年に渡り西区会長を支え,団体の発展に貢献してきた。令和二年四月からは西区会長として,一層のリーダーシップを発揮し,地域福祉の増進,安心・安全で快適なまちづくりに尽力している。

また,女性会行事のみならず学区の行事においても,他の地域役員と協調して運営にあたり,地域の女性リーダーとして他の模範となる活躍を続けている。

平成二十四年四月より名古屋市地域女性団体連絡協議会理事(令和二年四月より同常任理事及び会計)として,全市的組織の運営にも長年参画しており,本市社会教育の推進における功績は顕著である。


2021年度の行事&お知らせ ■ こちらのページをご覧ください。

幅下公園北側に新設されました 美濃路みち案内板 ,赤丸印が現在のコミセンの位置


幅下(はばした)学区へのご紹介

 

幅下学区は名古屋市の西区にございます。

名古屋駅と名古屋城の間に位置します。

 

能楽堂 横の赤丸が巾下門跡,左の赤丸が巾下学問所址

そして幅下学区の名前の由来は,古くは 1748年(寛延元年)の

巾下学問所(寺子屋)開設に依ると謂われて居ります。

設置場所は旧 鷹匠町の国道22号線沿い 堀川(巾下橋)の近くにあります。

ここから,徒歩5分程で名古屋城の有名な 巾下門跡 に行きます。

名古屋城 城郭の西入口(正門の西方側)の 巾下門跡 になります
現在では,門跡に石垣だけが残っています。
右手には名古屋能楽堂があります。

さて巾下学問所は現在の どのあたりに具体的に存在したのでありましょうか?


 調べている時に偶然に見つけました【 名古屋市役所発行の名古屋市史地図編(昭和43年9月)】からの,江戸時代の名古屋城の周辺地図が役立ちました。

 

朝日橋から五条橋までの堀川西岸には北から小舟町,堀江町,塩町,大船町,その西には四間道などの地元の方々には懐かしい地名も見えます。また,五条橋西側には慶栄寺、高田本坊(御本坊),円頓寺などの御寺も確認されます:

朝日橋の南西部には,江戸時代の築城建築関係の役所である「御作事(おさくじ)役所」があり,名古屋城は1610年(慶長15年)に築城が開始されて1612年(慶長17年)までに大天守が完成しました。そして,1748年(寛延元年)この場所に 巾下学問所 が設置されたと史実では述べて居ります。

 

この地図を見ると,幅下学区に関連する堀川への橋は江戸時代には『 朝日橋と五条橋 』の2つのみで,巾下橋は当時 存在しなかったことが理解出来ます。

国道22号線にある巾下橋の南東から北西方向を望む

朝日橋は,現在の巾下橋の北側に位置する古くからの小さな橋であり,江戸時代には城西地区および幅下地区に居住した数多くの武士が名古屋城への勤めの為に朝日橋を往来したことでありましょう。

朝日橋を西から東に渡ると左手側には城への西入口の 巾下門 が見えました。

【 現在の朝日橋を西側から撮影 】

 当然,巾下橋の片側4車線の広い国道22号( 道幅35メートル程 )さえ存在しなかった時代なのであります。


以上の考察を踏まえて,次の図の緑の斜線部分 巾下学問所が存在したものと推測されます:

東西25メートル程,南北40メートル程の敷地面積 約1,000平方メートルの土地に 巾下学問所 がありました。

学 区 周 辺 の 写 真


名古屋市立なごや小学校

 

これまでの江西小学校,那古野小学校,幅下小学校が統合されて,新校舎は3校のうち広い敷地が確保できる幅下小学校を解体後に北隣に隣接する幅下公園と合わせて再整備を行って平成27年度より名古屋市立なごや小学校としてスタートしました。平成29年4月には,現在の新校舎が完成致しました。

学校の敷地面積は1,440平方メートルです。

なごや小学校の校章です。三つの小学校が合併して出来ましたので NagoyaN  が三つ重なっている様なデザイン と成っています。

なごや小学校の正門右手側に位置する,なごや小学校の標語の石碑です。

この石碑の裏面も見てみましょう。

この石碑建立の由来が記述してあります。

【 幅下コミュニティセンター 】

 

なごや小学校から徒歩5分の場所です。

 

幅下学区連絡協議会の拠点に成ります。

コミュニティセンター内には,以前に幅下小学校にありました石碑が飾られてあります。

上の石碑の左側からも確認出来ます幅下小学校(創設1872年・明治5年)の校章です。これは『巾 下』の から円状の部分が, は円内に入る変形文字にて構築されています。

( 昭和の時代の小学生は,この校章を分数の5分の1と読んでいましたね。)

この校章からも,嘗ての『 巾下学問所 』の伝統が深く感じられます。

平成4年11月に迎えた幅下小学校・開校120周年記念の時に,幅下学区の全世帯に配布されました記念の航空写真の下敷きです:

【 参考資料 】 PTA だより 第32号『 開校120周年記念特集

続いては,幅下小学校閉校記念誌「幅下校」(平成27年3月)の表紙です:

題字「幅下校」は明治20年ごろ本校を参観しました山岡鉄舟の筆です。

「 東海 第一の学校なり 」と賞嘆して大額に墨文字を書き残しました。

     【 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)の逸話 】
土肥樵石という書家が鉄舟に「 わたくしは,字は一画三折の法をもって書きますが,先生はどういう法でお書きになりますか? 」と尋ねたところ,「 わしは無法で書く 」と答えた。

西郷隆盛のたっての依頼により,明治5年(1872年)に宮中に出仕(しゅっし)して 10年間の約束で侍従として明治天皇の教育係を務めた。

そして,その人間性は西郷隆盛をして「 金もいらぬ,名誉もいらぬ,命もいらぬ人は始末に困るが,そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない 」と賞賛させた。

幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣である 勝海舟,高橋泥舟 とともに『 幕末の三舟 』と称される。

この額は,なごや小学校で大切に保管されて居ります。

なごや小学校 メモリアルコーナー にて

浅間町の国道22号線沿い交差点付近にあります【 西区史跡散策路 城下町散策コース 】の案内板です。

1964年の東京オリンピックのときには浅間町周辺に小学生が日の丸の旗を持って並んで,国道22号線上を東京へ向かって走る聖火リレーを旗を振りながら見送りました。


幅下学区の11区塩町と11区大船町の間に架かる堀川への五條橋

 

嘗て,海部郡清須城下の五条川に架けられていた橋を,清須越(きよすごし:慶長15年(1610))により行われた清須よりの町ぐるみの引越しである名古屋への遷都の際に,この地に移されもので橋の名前もこれに由来します。

尚,この年から始まった名古屋城の築城では慶長17年(1612)までに大天守が完成致しました。

堀川に架かる橋の袂,北側にあります五条橋への案内板です :